1977年(昭和52年)9月17日(土)に3週間の欧州への出張を終え帰国した。1か月後の10月19日(水)、本社にS営業部長を訪ね、海外出張の報告をした。その後、S部長はK専務の所へ私を連れていかれた。K専務はS部長から私が恵那山トンネルの仕事に携わった事や、博士号を取得したことを聞かれておられた様子であった。K専務は京都大学電気工学科、昭和13年卒の私の大先輩である。

 K専務訪問を設定したS部長の意図は、私を研究所から製作所へ移動させる内諾を取ることであったのではなかったかと思う。

 その後あまり時を置かず私の上司である中央研究所のBシステム部長から「神戸の制御製作所のC公共部長が来られているのでお話を聞くように」と会議室に呼ばれた。K部長は「中研から制御製作所に来て、公共部でシステム開発の仕事に参加しないか?」との直接の打診であった。

 私にとっては、中研での仕事も一区切りつき、博士号も取得できたタイミングであり、ありがたいお誘いであった。私は「是非、お願いします」と即答した。

 C部長が私を中研から受け入れようとご自身で判断されたのか、それともK専務やS部長のアドバイスによるものか、不明であるが、多分、後者であった可能性が高い。中研のB部長にも、K専務やS部長の根回しがあったのではないか。

 1978年(昭和53年)4月1日、私は中央研究所システム部から制御製作所公共部へ移った。

 4月1日からの職場は、神戸市兵庫区和田岬町の神戸製作所の中にあった。中央研究所の時代に購入した自宅は宝塚市安倉にあり、バスで阪急伊丹に出て、阪急電車で伊丹-塚口、塚口-三宮、三宮からはバスで和田岬となり、通勤時間が1時間半近くで不便になった。

 神戸での勤務は長くなりそうなので、自宅を神戸に移すことを考えた。

関越トンネル縦流式換気の運用に関する委員会(その1)

 制御製作所公共部の主な仕事は、水処理プロセスの電気設備であった。道路トンネルの電気設備のビジネス規模は水処理に比較して小さかった。私も水処理に取り組むことになり、東京都下水道局森ケ崎処理場の水処理プロセスの運用調査チームに組み入れられた。この調査は数年に及ぶ大きなプロジェクトであったが、ここではこの話に深入りはしない。このチームの一員として数年間東京大森の沢の井旅館で合宿生活を送ったことは強く印象に残っている。

 1978年(昭和53年)6月23日、日本道路公団の植木課長に呼び出され、私は大森の沢の井旅館から日本道路公団本社に出向いた。植木課長と私はその足で本郷の東大機械工学科の大橋教授を訪問し、植木課長から大橋教授に私を紹介していただいた。大橋教授は日本機械学会の会長を務められた碩学であると共に、道路トンネルにもご興味を持たれ、この業界の旗手の1人であった。それまで日本の道路トンネルは関門、天王山、恵那山といずれも欧州で標準となっている横流式換気方式が採用されてきた。大橋教授は今後多くのトンネルが必要な我国では、よりシンプルな縦流式換気制御の普及が望ましいという斬新な考えをお持ちであった。

 大橋教授は、関越トンネルの換気方式の検討の経緯を関越トンネル換気運用に関する研究報告書(総集編)の前書きに次のように簡潔に述べられている。

「本トンネルの換気方式は昭和41年(1966年)~昭和51年(1976年)「トンネル内の空気の集塵技術に関する研究」、昭和51年(1976年)「立坑送排気縦流換気方式に関する研究」、また昭和52年(1977)「長大トンネル特設委員会」などの研究成果を踏まえて計画した世界に類の無い電気集塵機付立坑送排気式であり、過去の長大トンネルの横流式や半横流式に比較して建設費の削減や換気動力費の節約が可能と思われた」

 私は恵那山トンネルの横流換気方式トンネルにおいて、換気制御の開発を行った経緯とシミュレーションによる検討方法についてご説明した。大橋教授は私の話を静かに聞いておられたが、「我が国でも道路トンネルシミュレーションを活用する人が現れたのですね」とポツンと感想を述べられたのを今でも鮮明に思い出す。

1978年(昭和53年)9月27日に、道路公団本社に、H社、T社、三菱電機のトンネル換気関係者が集められた。H社のSさん、T社のKさん、三菱電機の私が各社の取組について説明した。その後、各社個別のヒアリングや3社合同での打合せが数回続けられた。

1978年(昭和53年)12月12日(火)13:00、高速道路調査会に大橋委員長を始めとする12名の初年度の委員が集まり、本格的に始動した。私はメーカ側の委員としてH社のSさん、T社のSさんと共にこの委員会に参加することとなった。この会議で、大橋委員長から、換気運用の検討にシミュレーションを活用する方針が示され、私がシミュレーションを担当することとなった。また、D委員からメーカ各社に換気制御方式を提案するよう要請があった。

対象となる関越トンネル換気系統図を示しておく。[1]

関越トンネル換気系統図

この委員会の報告を社内関係者へした所、会社として積極的に取り組もうということになった。これを受けて、私は、中央研究所に協力を依頼し、N君が専任として担当してくれることとなった。シミュレーションについては、恵那山トンネル用に開発した横流式換気シミュレータを参考に、関越トンネル用の縦流式換気シミュレータを開発することとし、N君がプログラムを作成した。また、関越トンネル向け換気制御方式についても、恵那山トンネルで開発した横流式トンネル向けの「交通予測レギュレータ制御」を縦流式トンネル向けに作り替えたものを準備し、委員会に提案した。他社からの換気制御に関する他の提案はなくその後この制御法の有効性をシミュレーションで確認する作業を進めた。

1979年(昭和54年)2月23日に高速道路調査会で第三回委員会が開催された。委員会は大橋教授を始めとし、大学関係者、消防研究所関係者、首都高関係者、コンサルタント会社、メーカ各社の他、主催の日本道路公団等18名の委員が集まった。三菱電機からは筆者と同僚のN君が出席し、用意するように指示されていた換気制御シミュレーションの構成図と、検討報告書に基づいて、初年度の成果を報告した。その時提出した換気制御シミュレーションの構成図は、3年後イギリスのヨークで開催された第4回Aerodynamics & ventilation Of Vehicle Tunnel (March 23-25,1992)に掲載されたものと同じものである。[1]

シミュレータの概略構成図

このシミュレータの主要要素は、交通モデル、汚染モデル、制御モデルおよび空気動(特性)的モデルの4つである。このシミュレータを用いて、縦流換気方式の関越トンネル用に開発した交通予測を用いた最適レギュレータ換気制御方式を適用した時のトンネル内風速や、汚染濃度分布結果を示した。

委員会のメンバーは、異なる技術分野の専門家で構成されている。トンネル土木構造やトンネル安全の専門家に加え、各メーカから換気機、受配電、集塵機の専門家、さらには現場のオペレーションに精通する道路会社の専門家等に、換気制御の説明をすることは難しいのではないかと危惧していた。しかし、幸いなことにこれは杞憂であった。委員の先生方はコンピュータシミュレーション結果をグラフで示した結果を正しく理解していただいた。私はシミュレーションによる説明は異分野にも通じる「共通言語」であることをその時強く実感した。ここで提案した制御方式は、その後さらに検討が加えられ、関越トンネルの平常時制御法として採用されることとなった。

[1] H.Ohashi, A.Mizuno, I.Nakahori, M.Ueki “A New Ventilation method for the Kan-Etsu Road Tunnel” P31-47. Aerodynamics & Ventilation of Vehicle Tunnel (March 1992)