換気制御法は、当時の計算機言語FORTRAN Ⅳ で記述され、中央制御装置である電子計算機(MELCOM350-30FⅡ)に搭載された。この中央制御装置は、恵那山トンネルから約12km離れた飯田インターチェンジに併設された飯田中央制御所に設置された。恵那山トンネル4換気所の換気運転に必要なデータである交通量計、CO計、VI計の全計測データは、伝送装置(遠制子局)から、飯田中央制御所の伝送装置(遠制親局)に送られる。

 中央制御装置は、伝送装置(遠制親局)から計測データを受け取り、これらの計測データを入力として10分毎に換気量を演算する。演算結果は、伝送装置(遠制親局)に出力され、各換気所の伝送装置(遠制子局)を経て、換気制御盤に返送される。換気制御盤は、受け取った換気量に基づいて換気機を駆動することになる。

飯田中央制御所の中央制御装置は、恵那山トンネルの4つの換気所の他に、網掛トンネルの2つの換気所、恵那山トンネルの2つの受電所、飯田他4つのインターチェンジ、3つのSA・PA、2つの気象観測所のデータを収集し、それらに基づいてすべての施設に必要な指令を行う。このように、この中央制御装置の扱う設備は、換気の他、受変電、自家発電、照明、防災、標識、中波拡声移動無線、気象、交通流検知他、高速道路運用にかかわるほぼ全てにわたる。

このような中央制御装置(工業用電子計算機)と伝送装置から構成されるシステムは、(遠方)集中監視制御システムと呼ばれ、工業用電子計算機が高価であった1975年当時は、電力分野、工業分野および公共分野で広く採用された。

1975年12月に発行された三菱電機技報は、恵那山トンネル完成に合わせて「道路トンネル用電機品特集」として編集されている。これによれば、三菱電機が恵那山トンネルの電気設備(①電源設備、②換気設備用電動機と制御方式、③中央管制システム、④遠方監視制御装置、⑤監視装置)の製作・工事をした事がわかる。1)

恵那山トンネル工事誌によれば、1967年(昭和42年)4月に最初の工事「恵那山トンネル飯田方試堀坑試験工事」が始まった。その後、補助トンネルおよび本坑トンネル飯田側と中津川より、飯田方斜坑、中津川方立坑と、土木工事が進んでいった事がわかる。一方、施工工事は1969年(昭和44年)5月に「恵那山トンネル工事用飯田方特高変電所新設工事」が始まり、1973年(昭和48年)には受変電工事、トンネル照明工事、防災設備工事、遠方監視制御装置等が次々と発注されていった様子が見て取れる。

工事件数でみると、土木建築工事は54件、施設工事が23件となっている。この内三菱電機が受注したのは施設工事3件である。これにより、この工事の規模の壮大さがわかる。

私が担当したのは、換気制御プログラム開発であり、1つのサブシステムに含まれる1つの部品(パーツ)に過ぎない。このプロジェクトの一員として働いたことで、プロジェクトの完成には、幅広い分野の人々が関わらなければならない事を身をもって経験できた。また仕事を通じて、社内の組織(営業所、各製作所、研究所)への理解が深まった。組織を支える人達との交流は、社内人脈の構築の原点となった。

恵那山トンネルは1975年8月23日に開通した。恵那山トンネル工事誌の序文で、当時日本道路公団名古屋建設局長であった平野和男氏は、開通の様子を次のように記している。

「中央アルプスを貫き、はじめて木曽谷と伊那谷とを直結する恵那山トンネルが地元の人達の「第2の夜明け来る」との期待と希望をのせて、華々しく開通したのは、昭和50年8月23日だった。折から台風の接近が伝えられ、前夜から吹き荒れ始めた風雨は、朝になって一段と激しさを増し、テープカットの頃にはその最高潮に達していた。まさに大荒れのなかでの開通式となったが、これを見守りながら私の胸中にはあの未曽有の悪地質を克服し、文字道り泥と水との戦いに終始した8年間の苦闘の最後を飾る幕引きとしては、これこそ本当にふさわしいのではないかといった感慨が去来していた。」2)

私は尼崎の中央研究所でこの一報を聞き、発注者の信頼に応えられたことにホッと胸をなでおろした。

阿智PAに置かれた恵那山トンネルの開通記念碑には、当時の日本道路公団総裁前田光嘉氏の次の歌が刻まれた。

「神の御坂 かしこみうがち 恵那の山に 新しき世の道 通りたり」

開通後、換気制御は順調に機能した。換気制御を担当した者として、状況を確認するため何度か飯田中央制御所を訪問した。担当の課長は、その後も何か月か中央制御所におられており、草花の鉢を自室に置かれていた。当時研究指導をしていただいていた西川禕一教授と訪れた際、担当課長に詳しくご案内頂いた事は、懐かしい思い出である。

開通から10年後の、1985年(昭和60年)、恵那山トンネルで開発したトンネル換気方式「トンネル内の換気予測制御装置の発明」が全国発明賞に選定された。この特許の共同発明者5名は全員、同年の6月5日、東京プリンスホテルで開かれた授賞式に夫妻で招待された。同ホテル2階マグノリアの間で開かれた授賞式では、発明協会総裁の常陸宮殿下からお言葉を賜った。中曽根康弘内閣総理大臣、発明協会会長の井深大氏、副会長の豊田英二氏等が臨席された。この受賞は恵那山トンネルの仕事に関わらせて頂いた皆様のご指導の賜物と、その幸運をかみしめた。

(恵那山トンネル換気制御システム完、次のテーマにつづく)

参考文献:

1) 三菱電機技報、道路トンネル用電機品特集、昭和50年(1975年)12月

2)日本道路公団 名古屋建設局 恵那山トンネル工事誌 昭和52年7月